悲しみや痛みの負の感情をもっての恋愛論

悲しい、痛いそんな負の感情を抱いたことは誰でもあるだろう。
それは誰かに何かを言われた時に生じるものなのか。
それとも、何も言われずとも感じる感情なのかはわからない。しかし、言えるのはそのどちらについても結局のところ自分を傷つけているのは自分であること。
「自分で自分を傷つけるなんてあるわけがない。」と思うかもしれない。

でも、他人の言葉で傷ついたりするのは周囲が思っている以上に一つの言葉を重く認識しているかではないのか。誰も自分を言葉で傷つけることはできない。
では、痛みを感じるのは?これは悲しみの延長だろうか。しかし、これについて言える事は言葉や態度で心の痛みを感じるだけではなく、恋愛感情において最も多いのではないだろうか?誰かに何かを言われたわけでもなく、ただ、悲しみ、痛みを感じる。

恋愛感情ならありえることだ。恋愛感情とは厄介なもので、片思いや失恋だけではなく、両想いだとしてもこれらの感情は生じる。
片思いや失恋なんかだとすると、自分を見てくれない事への悲しみ、友達でいる事よりずっと傍にいたいという思いから生じるものが多いが、失恋にいたっては、告白をしたが振られてしまった等や、告白する前に彼女がいる事を知ってしまったという事。
恋愛感情についての感情は嬉しさや楽しさの反面、大きく悲しみや痛みが生じる。
それは、傍に居たいという思いを超えてその人を独占したいという思いが強くなるからである。

でも、その感情は、そう思ってくれる事に関して愛しいと思う人もいるだろうが、それを越すとその感情は醜い感情へと変化してしまう。
自分を愛してもらいたい。好きになってもらいたいと想うあまり、相手に彼女がいた場合ならその彼女に攻撃の矛先が向いたりする。
その相手に彼女の悪口言う、彼女の評判を貶める行為をすることである。
そして、相手が彼女を庇うほどするとさらに自分は惨めになり、痛みや悲しみを覚えるかより彼女への攻撃を増幅させるかである。
私からすればそんな事をしても仕方がないのにと思うのだが、恋というのは厄介で簡単には諦めがつかないようである。

まぁ、もっとも簡単に諦らめられるようならそれはそれだけの思いでしかなかったという事だ。強い想いというものは痛みや悲しみを伴っても想い続けるものだ。しかし、両想いだけが恋ではない。それが悲しい想いをしたものならば、次の恋を見つけた時一度目の悲しみや痛みを知ってその人を照らし出すものになるだろう。

無駄な想いなどどこにもない。悲しみや痛みは負の感情と呼ばれるものかもしれないが、自分を成長させるうえではどの感情よりもその人自身を飛躍的に成長させるものだろう。