できそこないの私の不思議な出来事と成長
仕事がなかなか覚えられなくて、自分は何もできないと自分の無力さに嘆いている頃がよくあった。
それは今でもそうだが、そんな状態が続いて劣等感ばかりが前に出て、周りを羨むばかりだった。
出来ない事に対して自分に苛立ち、周りからはできていないと言われて落ち込んでいたが、しかし、同じ事を繰り返すうちに変化が見られたのだろうか?
少しずつできるようになってきていると突如言われた。自分ではまるで実感もなく、出来ているようにも思わない。
でも、出来るようになってきたという言葉は存外に嬉しかった。
でも、実感が全くない。一体自分のどこが変わったのだろうか?できるようになってきたというのだろう。
自分ではわからないまま仕事をこなしていたが、唐突に実感した。何かがあったわけではない。
ただ、自分ができる事、出来るようになった事がわかったのだ。それも唐突に。こんな事を言うと、まるでアニメや漫画のように感じられるかもしれないが、突如何かに目覚めたような、そんな不思議な感覚があり、ほんの少しだった視野が急激に広がるのを感じた。
仕事を教えてくれていた先輩たちはよく先を読めと言っていたが、まさにその通りで、今まで見えず、自分はできそこないの人間だと卑下していたが、ふとした瞬間に周りが広くそして、今何をするべきなのか先が明確なものになって見えてきたのである。言葉にするのは難しい。
しかし、言えるのはまるで今まで霧がかかったような感じだったのが急にその霧が消え周りが明確になり、そして知識という知識が折り重なったように形作られて、周囲が見えるようになったのだ。そう、それが何度もなく同じ思いをして、そして経験を重ねていくうちにまた同じようにふと視野が広くなり周りを見渡せる余裕が出てくるのだ。
そして、これまた不思議なのだが(たぶんこれは私だけの現象ではないかと思うが)、その感覚に包まれた際に頭の中にいつも浮かぶ上がる映像がある。
それは幼い日の自分の姿で、真夏の蒼天の空の下、日差しはきつく幼い私はいてギンガム素材のワンピースを着ていた。どこかけ出かけようとしているのか自転車に乗っている映像だ。その頭に浮かぶ映像はそれだけなのだが、なぜかその時に異様なほどに感覚が鋭くなり、視野が広くなるのだ。自分自身もこれが何を意味しているなんて事はわからない。
しかし、不思議なもので、この感覚は突如起こり、そして懐かしい夏の思い出とともに成長を促すのだ。もしかしたら何らかの形で記憶中枢を刺激して意味あるものとしてその形を培った知識を折り重ねまとめあげ、一つの行動ができるように作り上げているのかもしれない。